圓教寺⑨~開祖のことなど~

きょうはこのお寺を開いた性空殿のことを紹介しようと思う。
空海ら超有名な僧侶に比べると、巷間には知られていないのだが、なかなか面白い御仁である。

910年に生まれられたのじゃが、わしと同じく誕生のときも吉兆があったそうじゃ。
京都の生まれで、家は名門・橘家という。
ただ母君が何度も流産されているかたで、性空殿を身ごもったときも、
「子がかわいそうじゃ」と毒を飲んだのじゃそうじゃ。
だが、何事もなかったかのように赤ちゃんが誕生。
さらに驚くことに、その小さな左手には釘が握られていたのだという。

「釘」と言えば、京都は西陣にある有名な「釘抜地蔵」さん(石像寺)を思い出すが、あそこは皆さんの往来が絶えないよい寺じゃのう…。おっと、話を元に戻そう。

天才の誉れ高く、成長すると、貴族の若君の勉強相手となったそうじゃ。
だが、あるときその貴族が大事にしていた硯を割ってしまうのじゃ。
若君も立派で、「私がやりました」と友の過ちをかばうのじゃ。
しかし、こともあろうに怒った貴族はこの若君の首をはねてしまったというから、なんともおぞましい。
当然、性空は失意の底に叩き込まれる。

「出家しよう…」

もともとその思いがあったのじゃが、これが決定的な契機となったわけじゃな。

だが、名門・橘家が簡単には許してくれなかったのじゃ。
まあ、わしは釈迦族の王じゃったから、決心一つで出家したんじゃがな。

反対する母を改心させてくれたのは、かの文殊菩薩殿じゃ。
母君の夢枕に立ち「息子を出家させてあげなさい」と諭したそうじゃ。

彼は36歳になっておった。
ここから性空とよばれるお方の伝説が始まるのじゃ。


 ますます美しい円教寺の緑

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